手の記憶
「三年後、三陸のワカメを食べに戻ってこい」という漁師の手
むじゃきな笑顔ではしゃぐ子どもの頭を愛しくなでるお母さんの手
「津波で何もかもがなくなった。だから未練はない。あとは復興させるだけだ」と力強く、固く握られた青年の手
避難所で手作りのお風呂を作るおじいちゃんの手
「この避難所におれが電気を灯す」といった電気屋さんの手
自分たちで炊き出しをしている避難所の、冷えた水でひび割れたお母さんたちの手
「けんか七夕を復活させる」という誓いを寄せ書きに書いた若者の手
図書館が開館したら子どもたちが喜ぶだろうと想像しながら、地震で床に投げ出された本を一冊一冊ていねいに棚に戻す図書館員の手
暖房のない避難所の冷たい体育館の床で、風邪をひいて寝ているおじいちゃんの肩を心配そうになぜているおばあさんの手
瓦礫となった家のまわりで思い出の品を探す家族の手
一ヵ月たって見つかった行方不明者。火葬場で祈りのために合わせられた僧侶の手。遺族の手
三月十一日、その手には悲しい記憶が刻まれた。
おさまらない揺れに、机の下に隠れ、細い机の脚を必死に握った子どもたちの手
高台で工事作業中、向こうから迫りくる津波を見つけ、山の下にいる人たちに向かって「早く逃げろ」と叫び、振り続けた手
孫とお嫁さんと一緒に逃げたおばあさん。途中津波に飲み込まれ、「おめたちは生きろ」といって自ら振り払い津波に飲まれていったおばあちゃんの手
「助けて」と差し伸べた手
それをつかむことができなかった手
その手は、これまでも、そしてこれからもどれだけの涙をぬぐうのだろう。
どれだけの悔しさのためにこぶしを握るのだろう。
我々が、にぎった手が、新たな記憶のはじまりとなるように。
誰かと一緒に歩めると思ってもらえるように。
そしてその手を、離さないように。
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2011年4月8日に書いた文章です。私の著書『走れ!移動図書館』(ちくまプリマー新書)の15~17ページに載っています。これだけも削りたくなかった文章です。
物資配布や炊き出しのため避難所を回っていた岩手県大船渡市、陸前高田市、宮城県気仙沼市で聞いた声です。
当時のことを、思い出したくない方もいたかと思います。
それでもお一人お一人が、振り絞るようにお聞かせいただいた声をつないでいったら、このような文章になりました。
当時現場で印象に残ったのは、皆さんの「手」です。なくしたものを、また生み出すためには「手」が必要です。その「手」を離さないでいきたいと思っています。
2011年テレビやラジオから繰り返し「絆」という言葉が流れてきました。あの時誓った「絆」という言葉の意味を、これからを、その重みと覚悟を新たにしながら、これからの1年がまた始まります。
助かった命は生きるために、
悲しみを乗り越えるために
がんばっています。
もう少しだけ肩をかして下さい。
支えられたあたかい手は決して忘れません。
2011年4月4日
岩手県大船渡市 大船渡おさかなセンターにて。
もう少しだけ支えてください。お願いします。