兼高かおるさんに逢いたかった ‐ 夢を叶えるために待っていてはだめだと実感した日

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夢を列記した野望ノートに書いた夢のひとつに「兼高かおるさんと会う」があった。

旅行ジャーナリストとして、徹底的現場の取材にこだわった兼高さん。

異文化経営学を学んだ私は、兼高さんの「平和を保つには、まずは『違う』ということを認め合うこと」という言葉に感銘を受け、異文化を受け入れる環境の中に生まれる平和と発展をテーマにしようと誓った。

雲の上の人だったけど、言葉にすれば叶いそうな気がして、野望ノートの最初に書いた夢が兼高さんと会うことだった。

2019年1月5日、兼高薫さんはもう二度と戻ることのない、人生の最後の旅にでていった。

もう、逢うことは叶わない。

夢を叶えるためには、書いた夢を実現化するためにアクションを起こさないと、波間の泡のように消えてしまう。

兼高かおるさんとの別れは、私とって教訓となった。

「兼高かおる 世界の旅」とアナウンスが流れるたび、テレビにくぎ付けになった日々。

女性が番組を持ち、しなやかに世界を回る姿に、私もこうありたいと思った。

それがいまの私のキャリアになっている。

逢いたかったです。そして、それを伝えたかったです。

思ったときには、時すでに遅しにならないように、行動を起こしたい。

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