2月21日に本の学校連続講座に参加しました。
「本屋から発信できること」と題して、愛知県名古屋市にあるちくさ正文館本店の古田一晴店長のお話を伺いました。
殴り書き的なメモ、そのままですいません。
名古屋には出張で年に3~4回いくのですが、まだお伺いできていません。正確にいうと、お店の前まで行ったことはあります。その後、講演の仕事があり、場所を確認しただけで立ち去らねばならなかったという悲しい思い出があります。
また今年の3月と10月に名古屋に出張が入りそうなので、機会をうかがっております。
今年は、出版や本屋さんの勉強会に行くことが増えましたね。図書館だけではなく、「本」に関係する皆さんのことをきちんと勉強したいという思いがあります。
川上から川下までの一連の流れを押さえながら、物事を見るのが癖です。源流となる「出版社」から図書館や書店にどのように本が享受されているのかを、もっと知りたいと思っています。そして読みたい人に、読みたい本をどうやって届けるのかを考えたいですね。
さて古田さんのお話を聞いてメモを取った言葉をピックアップしました。
- シンプルに”本がおもしろい”という空間
言うは易く、行うは難しでしょう。でも街の人たちと対話し、名古屋の文化を信じ、ていねいに本を選んでいくプロセスこそ、本屋の利用者がその空気を感じるのでしょう。
- 震災の棚はそのままにしている。サインがぼろぼろになるけど、最初に設置したものを置いておきたい。その時の記憶を残しておきたい。本屋ができることは、本を取り除かないこと。
東北で行われているプロジェクトに参加している私としては、こんなに励まされる言葉はありません。「その時の記憶を残しておきたい」、「本屋が出来ることは、残すこと」を続けていただいていることに御礼申し上げます。
風化する・・・という言葉が叫ばれますが、本を置いていただき住民の目に触れてもらうことは本屋さんだからできる震災支援だと思っています。
いつ、どこで大震災が起きるか分からない日本で、東北の教訓を今一度触れてもらいたいという願いが私はあります。
- 街の人が表現しようと思うことによりそい、表現の手伝いをしている。
街で行われているコンサートなどイベントのお知らせが正文館の掲示板に貼られているという話になった時、古田さんがおっしゃった一言。本屋は情報の発信基地であるだけではなく、一人ひとりの気持ちを引き出し、形にするプロセスの手伝いもできるのですね。
また「祭りは1日で終わるけど、本屋は毎日できる」ともおっしゃっていました。毎日いろいろな祭りを紹介できるということです。本屋さんがコンサートホールの広報部のような機能を果たせるのですね。
また「本屋だけと付き合うのはいけない」というドキッとする発言も。本屋が誰と向き合うかは住民なので、住民の声をもっと聞かねばいけないという提言でした。
- 棚作りの哲学は「続けること」。
- 本の隙間は、実は、隙間じゃない。
「なるほど!」とうなった一言。神は細部に宿る、ではないですが、きっと紙の紙も細部にこそ宿る気がします。
隙間にこそ愛を!
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棚の世界は深いです。
そんな私ですが、とある本屋さんで夏に棚を作らせていただけそうです。
またお知らせできる時になりましたら、ブログ等で告知をさせてください。
ドキドキします。
岩波セミナールームを出たら、ショーウィンドーに2012年にお亡くなりになった吉本隆明さん未収録講演集のお知らせのポスターがありました。
孤独が自問する。
革命とは何か。
なんか、私の今の状況や気持ちにぴったりだ、と勝手に思いながら家路に着いた一日でした。
2011年7月からスタートした移動図書館プロジェクトの記録です。