「悔しい」という言葉は誰に向けられたものか『サマショール ~遺言 第六章』

映画

今日、ポレポレ東中野で上映された避難指示解除の飯舘村を描くドキュメンタリー『サマショール ~ 遺言 第六章』を見に行きました。

映画「サマショール 〜遺言 第六章」
「遺言 ~原発さえなければ(全五章)」の公開から6年。人類は放射能と共存できるのか? 二人のフォトジャーナリストが撮り続けた飯舘村の終わることのできない物語。

印象に残ったのは、飯館村に帰村を決めた長谷川健一さんが言葉を殺しながら言った

「悔しい」

という言葉です。

家を建て、ローンが払い終わるころに起きた東日本大震災。

酪農で生計を立てていたが廃業し、いまは一緒に村に戻った奥様と農地を耕している。

「悔しい」

その言葉は誰のせいにすることなく、自分自身に向けられた言葉。

そう感じました。

過去も、いまも、未来も背負いながら、人々は生きてる。

その画面を見ながら、2011年、宮城県気仙沼市階上中学校の卒業式での卒業生代表の挨拶がよみがえりました。

天を恨まず。

誰のせいにすることなく、自分自身に向けられた言葉であると、すべてを背負いながら、飯館村の人は生きている。

それに甘えるのではなく、この状況について考えるべしと、改めて心に決めました。

平成二十三年三月二十二日、第六十四回卒業生代表 梶原 裕太さんの言葉を改めて振り返りました。

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本日は、未曾有の大震災の傷も癒えない最中、わたくしたちの為に、卒業式を挙行していただきありがとうございます。

ちょうど、十日前の三月十二日、春を思わせる暖かな日でした。

わたくしたちは、そのキラキラ光る日差しの中を、希望に胸を膨らませ、通いなれたこの学舎を、五十七名揃って巣立つ筈でした。

前日の十一日。

一足早く渡された、思い出のたくさん詰まったアルバムを開き、十数時間後の卒業式に、思いを馳せた友もいたことでしょう。

「東日本大震災」と名づけられる、天変地異が起こるとも知らずに・・・

階上中学校といえば「防災教育」といわれ、内外から高く評価され、十分な訓練もしていたわたくしたちでした。

しかし、自然の猛威の前には、人間の力はあまりにも無力で、わたくしたちから大切なものを、容赦なく奪っていきました。

天が与えた試練というには、むごすぎるものでした。

辛くて、悔しくてたまりません。

時計の針は、十四時四十六分を指したままです。

でも、時は確実に流れています。

生かされた者として、顔を上げ、常に思いやりの心を持ち、強く、正しく、たくましく生きていかなければなりません。

命の重さを知るには、大きすぎる代償でした。

しかし、苦境にあっても、天を恨まず、運命に耐え、助け合って生きていく事が、これからの、わたくしたちの使命です。

わたくしたちは今、それぞれの新しい人生の一歩を踏み出します。

どこにいても、何をしていようとも、この地で、仲間と共有した時を忘れず、宝物として生きていきます。

後輩の皆さん、階上中学校で過ごす「あたりまえ」に思える日々や友達が、いかに貴重なものかを考え、いとおしんで過ごして下さい。

先生方、親身の御指導、ありがとうございました。

先生方が、いかにわたくしたちを思って下さっていたか、今になってよく分かります。

地域の皆さん、これまで様々な御支援をいただき、ありがとうございました。

これからもよろしくお願い致します。

お父さん、お母さん、家族の皆さん、これからわたくしたちが歩んでいく姿を見守っていて下さい。

必ず、よき社会人になります。

わたくしは、この階上中学校の生徒でいられたことを誇りに思います。

最後に、本当に、本当に、ありがとうございました。

平成二十三年三月二十二日

第六十四回卒業生代表 梶原 裕太

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