「失ったものを数えるな。残された機能を最大限に活かせ」パラリンピックの父・ルードウィッヒ・グットマン博士

パラリンピック

2020年、東京で第16回パラリンピックが開催されます。パラリンピックの歴史について振り返ってみました。

第2次世界大戦で負傷した兵隊のリハビリテーションのための「ストーク・マンデビル病院」とルードウィッヒ・グットマン博士

パラリンピックのはじまりは、第2次世界大戦で負傷した兵士のための病院「ストーク・マンデビル病院」(Stoke Mandeville Hospital)のルートウィッヒ・グットマン博士(Ludwig Guttman, 1899年7月3日 – 1980年3月18日)にスタートしました。

「ストーク・マンデビル病院」自体は1832年に設立されましたが、第二次世界大戦がはじまると戦地で脊髄を損傷し対麻痺になる兵隊が増加。1944年にイギリスのチャーチル首相らは、兵士の治療と社会復帰を目的にストーク・マンデビル病院内に脊髄損傷科(Spinal Unit)を開設しました。その初代科長となったのが1939年にナチスによるユダヤ人排斥運動によりドイツからイギリスに亡命した神経学者の医師ルートウィッヒ・グットマン博士でした。

それまでの治療の主体はリハビリテーションに向けられ、車いすでの生活に適応させることにより社会復帰を促していましたが、なかなかリハビリの効果が表れずに復帰が容易ではありませんでした。

スポーツを取り入れたリハビリテーション

そこでグットマン博士が取り入れたのが スポーツを通じたリハビリテーションでした。

単調なリハビリに苦痛を感じっていた患者も、スポーツを通じて「もっとうまくなりたい」「試合に勝ちたい」とモティベーションを高めるようになりました。

1948年、グットマン博士はこの効果をさらに高めるためストーク・マンデビル病院の中で競技大会を開催しました。

このときはイギリスの殻の参加者のみでしたが、その後、オランダ、ベルギー、イタリア、フランスと徐々に参加国を広げていきました。

1960年、第17回オリンピックがイタリア・ローマで開かれたタイミングに合わせ、23ヵ国から400名の参加者を集めた第9回ストーク・マンデビル大会が開催されました。この世界大会である第9回ストーク・マンデビル大会が第1回パラリンピックと位置づけられています。

「失ったものを数えるな。残された機能を最大限に活かせ」

ルードウィッヒ・グットマン博士の言葉に「失ったものを数えるな。残された機能を最大限に活かせ」があります。

だれでも健康を失うことはとてもつらいことです。でも、泣いてばかりではいられません。

失ったことを受け止めつつも、残った体の機能をどのように最大限に活かすかを考えることが大切なのですね。「他人と過去は変えられないけど、自分と未来は変えることができる」からです。

そしてスポーツを通じて自分のやってきたことが記録として可視化されることも、やりがいにつながるかもしれません。

もちろん健康を失ったことが、次のステップに進もうと思う気持ちを持つのには時間がかかります。

私も事故で骨折してから左手の中指、薬指、小指が藤生です。小指は完全に曲がらなくなりました。PCがうまく打てない、ものがうまく持てないので、自分の体が自分のものではなくなった感覚に2年近く悩まされましたが、この言葉を聞いて残されたものを最大限に活かそうと思えるようになりました。

失ったものを数えるな。残されたものを最大限に活かせ。
It’s ability, not disability, that counts.

ルートウィッヒ・グットマン博士
Ludwig Guttman

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投稿者プロフィール

鎌倉幸子(かまくら・さちこ)
鎌倉幸子(かまくら・さちこ)
アメリカ、オランダ、ドイツ、カンボジアでの海外生活15年の青森県民。現在は東京都在住。認定ファンドレイザー。社会的インパクト・マネジメント/ITコミュニケーションとファンドレイが守備範囲。

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