別所温泉で露天風呂に入った。
私が好きな感じの、ぬるめのお湯につかりながら、ひらりと落ちてきた落葉を触る。
赤や黄色という暖色の葉は、最後の生命の息吹を伝えんとばかりに、この色になるのかな、と思ったりした。
体をお湯につけたままで、手を伸ばして、オブジェとなっている石を触ってみる。外気に触れてひやり、と冷たい。ずっとここにある石だ。芯まで冷えているの違いない。
空を見上げた。空は青かった。
頭を上げた瞬間、深呼吸をした。すうっと。温泉の湯気の暖かさと、冬に向かう外の空気の冷たさとが絡み合って、私の肺に空気が入っていった。
息をしたことを、意識したのはいつが最後だろう。
当たり前のことが、当たり前になりすぎていることが、ちょっと怖いなと思った。
今回の出張に筑摩書房から月刊で出されている「ちくま」を持っていった。
この中に哲学者の森岡正博さんが「生命の哲学へ!」と題した連載を持っている。今回は「脳死」について書かれている。
文章の中に「息をすること」と「生きること」二つ入れ触れられた記事が興味深い。
ちくま 2014年12月 p48
日本だってそうだ。亡くなることを「息を引き取る」ということを森岡さんは指摘している。
今回「息をしていること」に無頓着だったと認識したが、もしかしたら「生きていること」も雑になっているような気がしてならない。
これからも走り続ける日々となるだろうが、「息をすること」に意識を向けていきたい。そうすると「これから
どうやって生きていくか」も見つめなおすことができるであろう。
また水の音、葉っぱの感触、石の冷たさ、野菜の甘さを休みとなった今日1日ではあるが、体感した。貴重であり、至福の時間だった。
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