ヨネスケさんが、大きなしゃもじを持って一般家庭に潜入し、ご飯をいただく「突撃!隣の晩ごはん」という番組があります。NHKの「サラメシ」、テレビ東京の「昼めし旅~あなたのご飯見せてください~」といい、他の人のご飯を見る番組が盛り上がっていますね。
さて、実家に帰ったら、今の机の上にこんな本が置かれていました。
久祥院(1630-1692)は弘前藩の第三代藩主津軽信義(1619-1655)の側室で、四代藩主信政(1646-1710)の生母です。
信政については、朝日新聞の情報誌定年時代に記事にもなりました。
4代藩主・津軽信政(1646〜1710)は「弘前藩中興の英主」といわれ、法令整備や新田開発のほか津軽塗など産業を興した人物。藩政時代の料理が文献に記録されたのもこの時代から
定年時代 今月の旅情報 平成24年4月上旬号
殿様料理と弘前城の桜 青森県/弘前市
弘前藩は『弘前藩庁日記 国日記』をつけていました。弘前藩の政治、経済、行政、社会などに関わることが記載されている公文書なのですが、その中に当時お城で食べられていたものが記録として残っているそうです。
この『弘前藩庁日記 国日記』は寛文から幕末におよぶ全4500余冊(「江戸日記」1219冊、「在国日記」3297冊)という膨大な記録です。この書き続けるという積み重ねが大切なのですよね。
特に信政は母である久祥院を尊敬していたようで、久祥院の私的ともいえる記事が多く記されているとか。参勤交代で江戸にいるときに、母に送った食材なども書かれています。
またこの本には弘前藩の本膳料理、参勤交代に行く前に食べた料理、帰ってきたときに食べた料理など、細かく紹介されています。
例えば1684年11月23日の夜は二汁七菜の本膳料理が振舞われました。
一 御料理二汁七菜 御膳塗御膳
御手掛熨斗
(本膳)
指躬(さしみ) ほそ作ぼら、かきひらめ、わさび、きんかん
御汁 つみ入、小かぶ、めうど、漬松茸
香物
御食(おんめし)
二(二の膳)
煮物 くしこ、せり、うり、大むめ干、海鼠腸、引而(ひいて)
御汁 塩鱈、品川のり、雲子
一 色付 石かれい
一 鰊鯑(かどのこ) わさび、はりくり
一 組焼 かまぼこ、なべやき
御肴
一 柚子でんがく
御吸物 ひれ、みつかん、たこいぼ
外
一むし里もの 大学差上之 生干鱈、ひらかつお
御取肴
一 ひらかつお
一 からすみ
三方土器一重
面々御菓子 大和柿
なし
蜜漬御菓子
後段
こせうの粉 饂飩
御吸物 そい、みずな
葡萄酒
御肴
一 蒸し貝
一 水くり
みつかん
こちら分からない言葉もあるのですが、後ろのほうに開設がでています。
「なべやき」と聞くとうどんを想像しますが、「鳥肉などを圧手の鉄板で焼いたもの」だそうです。
「みつかん」は酢の名前ではなく「みかんの皮を干した陳皮のことと思われる。刻んで用いる」とあります。
ただ不作だったり財政が苦しい年には、皿の数がもちろん減ります。
私が読んで興味深かったのは以下の点。
・鶴や雉(きじ)の捕まえ方、さばき方、盛り付けの仕方
・将軍から献上された品
・弘前藩から江戸に飛脚で最短何日で物が届くか
・ その時飲まれていた葡萄酒とワインの違い
・トラブルが起きた時弘前藩が頼んだ祈祷をする場所
ううん、実際の御膳をみてみたいですな。
保存をするために塩漬けにしたものも多く、血圧が心配もされる食でございます。
さて、この本の著者・木村守克さんは「弘前藩よろず生活図鑑」に記事も書いています。
この肩書きすてきです!ちなみに木村さんは弘前古文書解読会の会長でもあります。だから当時の文献を読みながら、このような本がまとめられるのですね。やっぱりオリジナルの文献を読んで研究するのが一番だからな。
さて弘前藩の夕食の再現はできなかったので、代わりに鎌倉家の3月21日の夕飯をチェック。
もずく酢
右下から菜の花、かぼちゃ、イカと紫蘇の和え物
右上はまなこ、鱈の肝とも和え物
珍味には日本酒が合う。豊盃の生酒。
『弘前藩庁日記 国日記』ではないですが、鎌倉母のドレッシングレシピをもらいました。平成14年3月20日のNHK「ためしてガッテン」より。ある意味これも記録だ。よく残しておいているなぁと感心してしまった。
こちらも記録