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すべてのおいて根源にあるのは「哲学や方向性を持つこと」だと思う。

絵本作家・識字教育専門家の田島伸二先生と対談をさせていただきました。

こちら記事が公開されましたのでご覧ください。

  識字は誰のためのものか?

代官山の蔦谷のカフェで対談の録音をしたのですが、話に花が咲き4時間もお話をしてしまいました。

たっぷりお時間をいただいた田島先生、ありがとうございます。テープおこしをしてくれた広報課インターンの飯島さんに感謝。

さて、対談をする前に先生が今まで書いた資料を読ませていただきました。

文化の一番基本的なところと人間社会の一番基本的なところで、出版というものが一番大きな役割を果たしている。

文字、言葉というものが人間の思考を作ったり、発展させたり、その中で過去からの文化遺産を引き継いだりしている。

文字をみんなのものにすることによって、普遍的な考えを作っていける、それによって時代とか空間とかを越えることができる、という意味で出版文化があらゆる文明の内容を決めています。

「鼎談 文字が育むクメールの文化~カンボジアの復興と出版・印刷活動」
地球市民ジャーナル 1991年 vol 95

こちら内戦で出版文化が壊滅的な被害を受けたカンボジアで、私が仕事をしているシャンティ国際ボランティア会が出版事業をすることを受けて行われた鼎談の一部です。

文字を書物として書き留めることにより、記録として残った情報が次世代に伝わっていく。そのプロセスを通じて、人々は対話を通じて普遍的な考え方を形成していけます。

文字によって、情報を簡単に貯蔵する事ができるし、加工することも、時間や空間を越えて世界に簡単に伝えることもできる。文字は思考や活動を記録したり、人々の表現やコミュニケーション能力を育てながら現実社会を大きく変革させる原動力ともなってきた。

田島伸二のブログ (2013/01/14)
パキスタンの子どもたちと識字教育の未来 

そして社会変革の原動力になります。

ただ、先生は文字という道具の使い方について警告をしています。

道具の使い方を間違えると、人を不幸にすることにもつながります。

リタラシー(識字)教育とは哲学や方向性を持たなければならない。リタラシー(識字)とは、ただ単に読み書き計算ができるかどうかの技術や能力の問題ではなく、豊かな人間性を有し、普遍的な目的や内容を目指すものでなくてはならない。人を不幸にし、人を殺す識字がこれまでの歴史でどれだけ推進されてきたことか、そしてそれは現在も続いているではないか。文字によって表現される知識や技術は、人間の在り方全体に真摯(しんし)なる責任をもたなければばらない。識字とは人を生かし、争いをなくし、人間全体が信頼できる世界をつくるためにこそ存在するのではないか

ヒューマン・リテラシーの理念とその活動について(アジアウエーブ誌)

今までの世界は「まずは文字の読み書き」の力をつけようとがんばっていた時代でした。それが識字(リタラシー)といわれていました。

ただこれから私たちは「情報リタラシー」の感度を上げなければいけない時代になった気がします。

あふれんばかりの情報の中から、適切な情報を読み取る能力が求められます。そしてその情報という道具が、何者なのかを見分ける力が必要となります。

そんな時、やっぱり本っていいなと思います。人と議論をするのはハードルが高いけど、違う意見が書かれた本を読みながら頭の中で戦わせる。そこからさらに参考文献を読んで深く掘り下げていくことができます。

私はネットで見ると流されてしまうことが特に多いので、そう思いますね。これもネットリタラシーの低さと評価されればそれまでですが。

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  識字は誰のためのものか?

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