「未曾有の大震災には、未曽有の対応が求められた」
2011年3月11日の東日本大震災のとき、岩手県の住田町長だった多田欣一さんの言葉を聞いたとき、あの日のことを思い出しながらこの言葉をかみしめました。
一般的に、なにか起こったとき「前例」や「経験」にもとづいて意思の決定がされると思います。
1000年に1度といわれた東日本大震災の被災地では「前例」も「経験」もないなか、さまざまな緊急性の高い判断が求められました。
「未曾有の大震災には、未曽有の対応が求められた」
それを受け、「覚悟」を決めた人たちがいました。
2011年3月16日に震災の影響が少なかった久慈から陸中野田間の運行を再開。そして3月20日には宮古から「万里の長城」といわれた堤防が決壊した田老までの区間を乗車賃を取らず無料で乗れる「復興支援列車」を走らせます。
震災から9日後の3月20日までに線路にあったがれきを取り除き、列車が動くかテストをして走らせた三陸鉄道。
なぜ、そんな短期間で、運行の再開を急いだのか。
その決断の記録が吉本浩二さんの『さんてつ 日本鉄道旅行地図帳 三陸鉄道 大震災の記録』(新潮社)です。マンガなので一気に読み進められます。
2011年3月16日のTwitterに復興支援列車が走ることを知った方の書き込みがありました。
復興支援列車についてのTweetも。
この本の中で三陸鉄道社長の望月正彦さんのインタビューが載っています。
運賃無料の運行を早期再開をした理由は
「我ら公共機関の使命」と語っています。
緊急時の前の平時からぶれない「使命」の哲学を持つことが大切なのですね。つねに「我々はなにものか」を問い続けることが重要。
ぜひご一読ください。
今回乗車たとき動画を撮りました。貸し切り電車(!)に乗車し、三陸鉄道の熊谷さんからたっぷり1時間、お話をいただきました。
この『さんてつ 日本鉄道旅行地図帳 三陸鉄道 大震災の記録』のなかで、1945年、広島への原子爆弾投下から3日後に走った広島電鉄のことが触れられていました。
「安全」を考えると運行をためらうかもしれませんが、列車を走らせることは日常を断絶させないことがもたらす「安心」につなげたのです。
管理職になり、日々決断を求められている方もいるかと思います。
なにを軸に、どう決断をするのかを体感できます。
ぜひ、ご一読ください。